川派。

今週のお題「海か? 山か?」

山に住んでいるのですが、泳ぐ場所としての海ってしょっぱくて苦手です。だったら山で川がいいなーっていう。

海水浴場ってなんか遊びが少ないよなーって思いませんか?川だったら沈んでる石を持ち上げるといろんな虫がいたり、深く潜って石を拾ってくる遊びをしたり、川の流れに逆らってひたすら泳いでみたり、石を並び替えて土木作業してみたり、といろいろと、まぁ創意工夫できるわけですが、海って...何すればいいのだろう...。

あ、でも上記の遊びも地元民じゃないとわからないのだろうか。逆に海は海の地元民ならではの遊びがあるのだろうか。

つまり、地元の子供と仲良くなって遊べば、海も川も楽しいのかな?

 

山間部に住んでおりますと、山に行くっていうと、ホントに山林の中ってイメージ。

命を賭けるんじゃなくて、人生を捧げれば良い。のでは。

 こんな風に書いたけど、別に高校野球の球数制限とか夏の大会とかに否定的なわけではないです。

何かに命を賭けるということ

俺は18以下の人間すべてが冷静に将来を見越して、今この瞬間に命を掛けるべきか否かを判断できるなんて思えないし、命を掛ける判断を18歳以下がしているなら、大人として止める。つーか簡単に命どうのを語るなと。

 

過去にも、甲子園のせいでで体を壊したり、その後野球をできなくなってしまったりした方もいらっしゃると思うのですが、そのことを後悔している人ってかなり少数なんではないかなーと思うんです。むしろ、体調を崩してしまってマウンドに立てなかったとか、マウンドを降りてしまったとか、そういうことの後悔のほうがあとにずーっと引きずるんではないでしょうか。仮に、野球ができなくなっても、野球に関わっていくことはできますし、野球以外でも経験は生きてくると思います。

ただ、大人の役割として、強制するようなことがあってはいけないんじゃないかな、と思います。人生って結構長いのです。その人生をなにをして過ごすのか、ということを考えるのに大事な時期が未成年の間だと思います。プロフェッショナルになるということは、そのことに大部分の時間を捧げるということでもあります。体を壊すことでその分野に関わることができなくなるのなるとして、その方が本人のためになると言えますか? 自分がどういった形で、その分野に関わっていくのか、自分にはどんな関わり方の可能性があるのか、そこで無理をして体を壊すことで、どんな選択肢が消えるのか、本人がまともな判断ができないのであれば、まわりが止めることも必要だと考えます。

チームのことではなく、本人のことを真剣に考えられる指導者であれば、無理をさせるようなことはしないのではないか、などと素人ながらおもうのですが、どうなんでしょうか。逆に無理させて故障する選手が多いのであれば、ルールが必要になってしまいますよね。詳しくないのでわかりませんが、そこんところ。

 

余談ですが、命を賭けるって点でいがらしみきおさんのマンガ『ぼのぼの』のヒグマの大将とスナドリ氏のエピソードを思い出しました。

「ヒグマの大将とスナドリネコさんのこと」/「舵丸」の漫画 [pixiv]

ukparaの思索メモ (つねに未完成) - アニメモ 「『ぼのぼの』のこと」

『命を賭ける』ってまさに戦争ですよね。
ヒグマの大将は「命なんざかけねえでなんとかしてみせるぜよ!」ってますが、その方が平和的で良い気がします。世の中実際命かけてない人が世の中煽動してるからやだよね。

夢のなかで見た夢の話を夢でしてた話。

夢と現実の区別がつかなくなることがたまにある。

キンキキッズが解散したと思ったら夢だったし、エニックスとスクエアが合併したのは夢ではなかった。

今日はまた酷かった。時系列が曖昧でまとまらないが書きだしてみる。

誰かにキスをする夢をみている最中に違和感を感じ、手を弄ると何かを掴んだのでまどろみながら目を開くと、掴んでいたのは女性の骸その顎。ゾクッとしたところで目を覚ました、という夢を見た。その後怖くなって家人にその話をしようとするも、キスをしたどうのという件から始まるため話しづらく、保留。そうこうしているうちに、友人とバーで飲んでいる最中に、その夢の話をしていた。というところで目が覚めた。

前半部分の夢をみたのは昨日のような気もするし、同じ夢の中のような気もする。

どちらでもいい話なのだけど。

 

わすれられない おくりもの

『わすれられないおくりもの』という絵本の朗読動画がありまして。
その紹介文がこちら↓

西洋の童話の多くに見受けられる神秘的なお話しではなく、文明の継承という哲学を物語の主軸に置かれている点で、他の童話とは一線を画す物語です。

 

老人の知識の価値は下がったと言うけれども、まだまだ体験、経験というのは知識とは違うので、役目・役割はまだあるだろ、と思います。

文化と言うなら、方言や地域の行事、その他地域性の強いことなどは、人類全体としては価値は低いかもしれませんが、日本人単体で考えるなら重要なことだと思います。人間一人がどう生きたのかというのも面白いコンテンツであると思いますし、爺婆は腐らずに余生を過ごしていただきたいなぁと。

SSDの延命を測ったんだけど・・・。Retry

Tumblrにこんなことを書いた。
はてなに書いたほうがコメントとか貰えそうなのでここで引用してみた。できてしまったはてなブログの使い道が見当たらなかったのだけど、今後、リアクションを貰いたいようなことはこっちでかこうかなぁ。リアクションもらえるとは限らないけど。

SSDの延命を測ったんだけど・・・。

そもそも、SSD内にEvernoteやDropboxのデータを入れることは、SSDの寿命を縮めるのだろうか。SSDには書き込み制限がある。初期の頃とくらべて改善はされているらしいのだが、なくなったわけではない。dropboxもEvernoteもデータが共有されスピーディに同期されるのがウリである。同期されるということはその都度書き込みがされるはずだ。ということはSSDの寿命を縮めてしまうのでは?と。

ブログに書く前には、とりあえず検索してみて同じようなことが書いてないか調べてみるのだけど、今回のような内容のものははなかった。ということは、同じようなことを考えた人はそれほどいないんじゃないか、そもそも効果がないんじゃないか、と。実際のところは私では分かりかねる。誰か教えてほしい。