日本に米粒残すことを良しとする習慣はあるのか。
茶碗に米粒を残した状態で「完食」する人は完全悪ではないけど相容れられない、という話に意見続々 - Togetterまとめ
日本において、米粒を茶碗に散らかして残すことに文化や宗教、風習などの意味があるのかどうか。もったいないの国ですし、茶碗の飯は残さずきれいに食べるのが大多数にとっての正義だと信じていたのですが。
2017/02/11 16:20
書き足りないので追記的に。
この話の元にあるのは、以下の話題だと思う。
296件のコメント https://t.co/oMmj3j1PGX “ご飯の食べ方が汚い知人が、一粒残さず食べた皿を見て言った言葉にカルチャーショックを受けるTL - Togetterまとめ” https://t.co/bUcezZGfGI
— 𝖘𝖙𝖗𝖇 (@strb) 2017年2月11日
上記リンクは昨年8月のものだが、当時私もそれどこの国の話?と思った。日本で生まれ育った人なら、茶碗からきれいに米粒を取って食べるのが普通だと思っていたからだ。
ところで、私の食べ物を残すことへのスタンスはこうだ。
- できれば残さない方がいいし、多少の無理はしてでも食べるべきだが、無理しすぎるほどの無理をしてまで平らげる必要はない。
- そもそも食べきれないほど用意すべきでない。ちょっと足りないぐらいがちょうどよい。
- 我が家においては、我が家で出た生ごみは堆肥化されるので、腹を通って浄化槽で処理されるか、畑で微生物などの餌になるかだけなので、それほど罪悪感はない。ただ、かかる費用がもったいないと思う。
それは米でも同じことである。なので、茶碗に飯が残してあっても特に文句はない。茶碗に米粒が散らかっててもそれは同じ。食べ方汚いなとは思う。ただ、きれいに食べることが下品とされるような文化は日本にあったのだろうか?そういう地域や宗教があるのなら、教えて欲しい。
ちょっと話がそれるが「ごはんを食べたあとの茶碗に茶を注ぎ、茶碗に付いた米をすすいで食べる」ということをされる方はまだまだいらっしゃると思う。(私は滅多にやらないが)これを下品と言ってしまうような人というのは今の50代の方でもいるのだけど、これはちゃんとした作法だと私は家族に教わった。私は家族に永平寺の修行僧がこうした作法を行う、というように教わったのだが、ちゃんとした資料などを見たわけではないので調べてみたところ、それらしい内容のものが見つかったので、デマを信じているわけでもないようだ。
“洗鉢(せんばつ)|禅宗お坊さんのブログ布教(禅語・作務・坐禅・修行・お坊さんのリアル体験記)” https://t.co/Ki7xs9wof5
— 𝖘𝖙𝖗𝖇 (@strb) 2017年2月11日
“典座教訓” / “お寺でお坊さんは お茶碗をタクワン(漬物)とお茶できれいに洗い飲み... - Yahoo!知恵袋” https://t.co/3jhlaiIUR6
— 𝖘𝖙𝖗𝖇 (@strb) 2017年2月11日
“応量器 - Google 検索” https://t.co/XPkQxqtHdf
— 𝖘𝖙𝖗𝖇 (@strb) 2017年2月11日
ということで、お茶で茶碗を洗うのを少なくとも下品とかマナー違反などと言ってしまうのはちょっと違うな思う。結婚式とか、そういう場でやりたいとは思わないけど、米を茶碗からきれいに取って食べるのまでを下品と言ってしまうのは、その人ほんとに日本人?と疑うレベルに違和感なわけだ。
例えば韓国などは、食器を手に持って食べるのは下品なのだそうだ。中国では持て成しを受けたときに出された料理を平らげてしまうのはマナー違反というようなことも聞いたことがある。食に関するマナーや習慣はいろいろあると思うので、それぞれ勝手にやってくれればよろしい。とやかく言う筋合いはない。しかし、日本ではそうじゃないだろう。そうじゃないはずだ。