命を賭けるんじゃなくて、人生を捧げれば良い。のでは。

 こんな風に書いたけど、別に高校野球の球数制限とか夏の大会とかに否定的なわけではないです。

何かに命を賭けるということ

俺は18以下の人間すべてが冷静に将来を見越して、今この瞬間に命を掛けるべきか否かを判断できるなんて思えないし、命を掛ける判断を18歳以下がしているなら、大人として止める。つーか簡単に命どうのを語るなと。

 

過去にも、甲子園のせいでで体を壊したり、その後野球をできなくなってしまったりした方もいらっしゃると思うのですが、そのことを後悔している人ってかなり少数なんではないかなーと思うんです。むしろ、体調を崩してしまってマウンドに立てなかったとか、マウンドを降りてしまったとか、そういうことの後悔のほうがあとにずーっと引きずるんではないでしょうか。仮に、野球ができなくなっても、野球に関わっていくことはできますし、野球以外でも経験は生きてくると思います。

ただ、大人の役割として、強制するようなことがあってはいけないんじゃないかな、と思います。人生って結構長いのです。その人生をなにをして過ごすのか、ということを考えるのに大事な時期が未成年の間だと思います。プロフェッショナルになるということは、そのことに大部分の時間を捧げるということでもあります。体を壊すことでその分野に関わることができなくなるのなるとして、その方が本人のためになると言えますか? 自分がどういった形で、その分野に関わっていくのか、自分にはどんな関わり方の可能性があるのか、そこで無理をして体を壊すことで、どんな選択肢が消えるのか、本人がまともな判断ができないのであれば、まわりが止めることも必要だと考えます。

チームのことではなく、本人のことを真剣に考えられる指導者であれば、無理をさせるようなことはしないのではないか、などと素人ながらおもうのですが、どうなんでしょうか。逆に無理させて故障する選手が多いのであれば、ルールが必要になってしまいますよね。詳しくないのでわかりませんが、そこんところ。

 

余談ですが、命を賭けるって点でいがらしみきおさんのマンガ『ぼのぼの』のヒグマの大将とスナドリ氏のエピソードを思い出しました。

「ヒグマの大将とスナドリネコさんのこと」/「舵丸」の漫画 [pixiv]

ukparaの思索メモ (つねに未完成) - アニメモ 「『ぼのぼの』のこと」

『命を賭ける』ってまさに戦争ですよね。
ヒグマの大将は「命なんざかけねえでなんとかしてみせるぜよ!」ってますが、その方が平和的で良い気がします。世の中実際命かけてない人が世の中煽動してるからやだよね。